初心者でもわかるくりっく365基本編
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くりっく365のタイ政府は、タイ・ビルマ国境に展開する反軍政民族武装勢力の存在を基本的に黙認し、ビルマ国軍とのバッファーゾーンとして利用してきた。また90年代のタイ民主党政権(チュワン、アナン両政権)はビルマ軍政の政策に批判的な立場を取り、軍政との関係も決して良好ではなかった。しかし90年代後半には保守政治家チャワリットらが提唱する「建設的関与」論が力を持った。政府はビルマとの距離を縮める方向に傾き、97年のビルマのASEAN加盟にも賛成した。これは軍事政権の長期化を踏まえた上で、政治改革に向けた努力を後景に退かせ、国境地域の天然資源確保や国境貿易の拡大による経済効果を優先した結果である。ASEAN加盟後のチュワン政権やマレーシア政府の取り組みの積極性は、少なくとも主観的には、ビルマを地域政治の枠組みに入れた上で、民主化を促す点にある。ビルマへの「建設的関与」策が成功すればASEANの国際的地位を飛躍的に高めるはずだったが、ビルマ軍政は自らの支配を危うくするあらゆる改革に反対する姿勢を貫き、この舞台に乗ることは決してなかった。アウンサンスーチー襲撃事件と同氏の自宅軟禁の継続、キンニュン元首相の更迭劇、首都移転、ASEAN側が派遣した特使への丁重とはいえない処遇といった一連の政治的動きは、ASEANの「建設的関与」策が完全に破綻したことを示している。チャワリットに代表される経済優先路線を拡大したのがタクシン政権である。同政権は国境の反政府武装勢力への圧力を強め、タイ国内の反政府活動家や難民への取締を強化している。
日経225、アメリカとイギリスは軍事政権にアウンサンスーチーを始めとする全ての政治犯の即時釈放を求める非難決議を提出し、1月12日国際連合安全保障理事会で採決した。しかし、中国とロシアが拒否権を発動し、否決された(賛成は米、英、フランスなど9カ国。反対は中、露、南アフリカ共和国の3カ国。棄権はインドネシア、カタール、コンゴ共和国の3カ国)。ASEAN諸国では、軍事政権への非難には慎重論が強い。
2007年10月11日、国連安全保障理事会は、僧侶や市民らによるデモに対する軍事政権の実力行使を強く非難する議長声明案を、全会一致で採択した。
CFDは1954年11月の平和条約締結以来、日本と友好的な関係を築いてきた。特にネ・ウィンは日本の政治家に根強い親ビルマ的空気を敏感に察知し、「親日国ビルマ」を演出するパフォーマンスに長けていたことは現代日緬関係史の常識に属する。このことがBSPP時代の巨額の二国間援助に影響を及ぼしている。欧米諸国とは対照的に、1988年の軍事クーデター後に成立した軍事政権をいち早く承認した他、軍事政権との要人往来や経済協力による援助を実施し続けてきた。ただし、人道的な理由かつ緊急性がない援助は、2003年から停止されている。ミャンマーの人権問題や民主化問題に対し、日本政府は軍事政権と民主化勢力の双方に、“対話による解決を粘り強く働きかける”方針を採用しており、これまでに幾度か軍事政権に働きかけを行ってきた。しかし、これまでのところは芳しい成果が上がっていない。ミャンマーの軍歌には軍艦行進曲の旋律を流用したものがあり、ミャンマーにおける親日感情の存在を示す根拠として提示されることがある。
元ミャンマー大使(任期1995年 - 1998年)山口洋一[1]は、かねてより軍事政権を支持して来た[2]。2007年ミャンマー反政府デモで、長井健司らが殺されると、『週刊新潮』に改めて軍政支持の手記を寄稿した[3]。
FXの主張は以下のとおり。
今回の反政府デモの規模について、日本の全ての新聞は10万人と報じてきたが、テレビ映像を確認する限り、明らかに誇大な数字である。
ミャンマーの軍事政権が一般市民、まして外国人のジャーナリストに向けて、無差別に発砲を命じることなどありえず、恐らく不幸な偶然が重なった結果に違いない。
デモを行っているのはいわゆる一般市民ではなく、言葉は悪いが、その多くは無頼漢や与太者、失業者などで、NLDから金銭の提供を受け、動員されている。
ミャンマーに純粋な意味での政治犯は一人もいない。「道路や公園など公共の場所で五人以上の政治目的の集まりは禁止(中略)屋内における50名を超える政治集会は許可制」といった古くからの法律に違反したものばかり。法治国家として当然のことを怪しからんというのは如何なものか。
外国為替はミャンマーに余計な口出しをせず、援助や貿易、投資、技術移転などで側面的な支援を行うべき。
ミャンマーの国営英字紙『ミラー・デイリー』は、10月22日号で『週刊新潮』の記事全文を翻訳して転載し、軍政を支持する国際社会の声として国民に示した。当然ながら、日本の元外交官に過ぎない山口の見解は、国際世論はもちろん、現在の日本政府の見解を示したものでもない。
なお、山口は保守系誌『月刊日本』11月号や、2007年10月21日放送の『サンデープロジェクト』内でも同様の主張を行っている。
ミャンマー国軍は1942年に創設されたビルマ独立義勇軍をその起源とし、国軍最高司令部、陸軍司令部、三軍情報司令部、空軍司令部と海軍司令部などからなる。タン・シュエ上級大将が国防軍最高司令官である。現有兵力は約41万で、陸軍37万5千、海軍1万6千、空軍1万5千からなる。この他に警察部隊7万2千と民兵3万5千が存在する。[4]陸軍は13の軍管区を中心に編制されている。海軍基地、空軍基地が各6個ある。志願兵制。対外的な軍事同盟締結を拒否し、原則的に外国に対して軍事基地を提供していない。ただし、中国は例外で、1994年6月から大ココ島(Great Coco Island)を賃借しており、中国はレーダー基地と軍港を建設している。
1990年代までは社会主義国であるにも関わらずビルマ式社会主義という独自の立場を取っていたため、旧東側からの支援はほとんど行われず、西側諸国にしても南ベトナムのようなケースと異なり限定的に装備の提供を行ってきた。このため、80年代までは「黄金の三角地帯」対策として供与されたアメリカの装備(UH-1汎用ヘリコプター、AT-33COIN機、ターボスラッシュ農業機―ケシ畑への除草剤散布に使用―など)を中心にしていた(この装備供与に、CIAは当時から反発していたともされる)。90年代以降はアメリカからの支援は断絶状態となった。代わって台頭しつつあるのが中国やロシア、インドであり、J-7やQ-5、MiG-29等の導入はその表れである。さらにラングーン事件以降冷え切っていた北朝鮮との関係が1996年頃から軍事・政治面で改善した結果、野砲・ロケット砲などの武器購入が行われている。
また、外交関係が不安定であることから軍備の国産化が進んでおり、すでに自動小銃(ガリルやH&K G3等)や弾薬、暴徒鎮圧用の軽装甲車などは国産での調達が可能といわれる。海軍が保有しているコルベットもミャンマーにて建造されたものである。
7つの管区(タイン)と7つの州(ピーネー)に分かれる。管区は、主にビルマ族が多く居住する地域の行政区分。州は、ビルマ族以外の少数民族が多く居住する地域となっている。
ミャンマー連邦は北緯10度から28度の間に位置し、南北に伸びる長い国土が特徴である。中国・タイ・ラオス・インド・バングラデシュと国境を接し、海側はマルタバン湾・ベンガル湾・インド洋と面する。国土の中央をエーヤワディー川が縦断しており、河口付近は広大なデルタ地帯を形成している。国土が広範なため気候・植生は多様性に富んでいる。
ビルマはかつて東南アジア有数の大国であり、イギリス統治下においても東南アジアで最も豊かな地域のひとつであった。コメの世界最大輸出国であり、チークなど木材をはじめ天然資源が豊富で、石油生産・輸出も盛んに行われていた。また人的資源も優れており、識字率は高く、独立後は東南アジアでも早く成長軌道に乗るだろうと考えられていた。1952年に経済開発計画が立案されたが、内乱や外貨事情の悪化から4年ほどで破棄される結果に終わった。
1962年から1988年まで、ネ・ウィン軍事政権はビルマ式社会主義という国家基本要綱に基づき、国有企業主導の統制経済による開発を行なった。この間、主要産業の企業・貿易は国家の管理下に置かれ、土地も国有化された。また、工業化政策によって1960年代〜70年代において、工業は一応の発展を遂げた。しかし、1980年代に至ってもGDPで工業が占める割合は1/10程度で、依然農業が主産業の座を占めていた。また、鎖国的な経済体制によって、最貧国と認定される程にビルマ経済は著しく停滞し、他のアジア諸国と大きな差をつけられる結果となった。
1988年のソウ・マウンによる軍事クーデター後、ビルマ援助国の大部分が経済援助を凍結した為、国家法秩序回復評議会(SLORC)は社会主義計画経済の放棄と自由市場経済体制への転換を決めた。SLORCは、豊富な天然資源と安価な労働力を基とした民間企業主導型の輸出指向型の政策を打ち出し、外国人による投資の大幅な許容、近隣諸国との国境貿易合法化や国営企業の民営化等、市場経済改革が実施された。
最近では工業部門が飛躍的に成長し、工業化が進展しているように見える。しかし、これは、天然資源開発中心の国有企業主導型の工業開発によるものであり、民間製造業主導型の工業開発ではない。天然資源開発は急速な早さで環境を破壊している。また、天然資源採掘地域においては、強制労働・強制移住などの人権侵害が行われているという事実がある。
以上の事実から、欧米諸国はミャンマー製品の輸入禁止や、新規海外直接投資禁止などの経済制裁を行っている。 特にアメリカのミャンマー製品輸入禁止と送金禁止はミャンマー経済に大きな影響を与えている。近年、民間製造業において急速に発展してきた縫製産業は、そのほとんどがアメリカ向けの輸出産業であったため、経済制裁発動後は多くの工場が操業停止状態に追い込まれ、そこで働いていた多くの労働者が職を失った。
このように、ミャンマー経済は政治的要因により、離陸の機会を失っていると考える向きもある。